昔、通清(みちきよ)という役人がいたそうです。歌を詠み、源氏物語や狭衣物語などを暗誦して、花見だ、月見だと風流をつくしていました。
ある日のこと、後徳大寺左大臣殿が通清に「これから仁和寺で花見をするんで、必ずいらっしゃいね(はぁと)」とお誘いになりました。
通清は「お花見に招待されるなんてすばらしい。ラッキー♪」と思い、ソッコーでオンボロ牛車に乗って出かけました。
すると、後ろから牛車が二つ三つほど連なってついてきます。
「あれは後徳大寺左大臣殿の御一行だな。うふふ。左大臣殿よりはやいアタシってかっこよくね?」
通清は牛車の後ろの小汚い簾を上げました。
「やだ〜、アタシより遅いなんて。はやくはやく、カモーン♪」
そう言って扇を開いて手招きしました。自分よりも偉い人にそんな大それたことをするとは、さすが数寄者さんですね。
すると、後ろの牛車の方からいかつい武士が馬を走らせて寄ってくるではありませんか。
「え゛、な、なに、じょ、冗談じゃん、なんなの〜っ」
テンパる通清を無視して、武士は牛車の尻の簾を切り落としてしまいました。実は後ろの車には関白殿(左大臣殿よりもだいぶ偉いのです)が乗っていて、さるところへお出かけになる途中なのでした。
「ぎゃーっ」
通清はパニック状態で牛車の前側から転げ落ち、烏帽子が脱げてしまいました(その時代、烏帽子が脱げるのは相当の恥さらしだったそうです)。
それはもうまことに気の毒だったとか。それにしても、数寄者さんというのは少しおバカさんなのでしょうか…。
(※以前ウェブ上に出したものに加筆し、挿絵をつけました。)
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通清さんの、権力者をものともしない言動にホレました。そんな天然数寄者さんを花見に誘う後徳大寺左大臣殿も素敵だと思います。
おしまい