しぐなすの創作物置小屋

小説・現代誤訳・詩歌・漫画などなど

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

掌編小説「最後の晩餐」

夫の死体を前にして、彼女はきわめて冷静だった。彼女は血だらけの包丁を握ったまま、冷たくつぶやいた。 「トロピカルカレーに生玉子を乗せたのをけなす方が悪いんだからね」 彼女は丸岡フーズのトロピカルカレー缶詰が大好物で、生玉子を乗せるという自分…

掌編小説「あすか」

女は「あすか」と名乗った。飛ぶ鳥と書いて「あすか」。 行きずりの女だった。ショートカットに真っ赤な口紅の華奢な女だった。 ホテルに行った。二人して素裸になりベッドに倒れ込んだ。俺は彼女を後ろから抱いた。 「この体位、何ていうか知ってる?」 耳…

掌編小説「弱法師の夕日」

大学の卒業式も終わり、辻本君のいなくなったこの街。梅の花がほろほろと散っている。春分の日ももうすぐ暮れる。私は一人で西の空を見ていた。 「ハックション」 花粉症でくしゃみが出る。目もしょぼしょぼする。 「弱法師(よろぼし)」という能楽がある。…

地蔵菩薩のER救命事件簿・地蔵菩薩ピンチの巻

<Aさん(土佐・室戸の津住人)の証言> あそこにお堂があろう、津寺というお堂なんじゃが、ほれ、軒のところがちょっと焦げちゅうがや。それにはこんな訳があるんがや。…… もう何年たつか、あるとき、野火があってな。このへんの山が焼けたことがあったがや…

掌編小説「山下くん」

私は若い頃から本を読むのが大好きで、書店も大好きな場所である。好きな書店はいくつかあって、品揃えの豊富な都心のM書店もそのひとつだった。 そのM書店で、ある日、文庫本を立ち読みしていたら、通りかかった若い男性店員に注意された。本を片手で持っ…

地蔵菩薩のER救命事件簿・阿清さん(備中・修験者)の証言

あれはたしか、わしが二十四、五歳だった時のことじゃよ。もっと若い頃には、大きな寺の律師(えらい坊様のことじゃ)の弟子だったんだが、そこを飛び出しての。それからは修行を積むために各地を巡っていた。ところが、はやり病にかかって、寝込んでしまっ…

仄聞伝説(ほのぎきでんせつ)「照姫と瑠璃丸」

1 昔、ある村に照姫(てるひめ)という美しい娘がいた。元は身分の高い生まれだったが幼いころに両親と別れ、この村まで流れてきた。村のはずれの粗末な庵で暮らしていた。 姫が十九歳になったころ、一人の少年が訪ねてきた。名を瑠璃丸といった。十六歳だ…

掌編小説「ある年配女性の問わず語り」

阪神大震災の日に離婚届を出しに役所まで行きましてん。別居してたからね、バス乗り継いで。揺れたん、朝早かったでしょ、目ェ覚めたけどね、まあうちはちょっと物が落ちたぐらいで済みましたわ。ほんで午前中家出てね、阪急が止まってるのん知らんかったん…