しぐなすの創作物置小屋

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掌編小説「弱法師の夕日」

 大学の卒業式も終わり、辻本君のいなくなったこの街。梅の花がほろほろと散っている。春分の日ももうすぐ暮れる。私は一人で西の空を見ていた。
「ハックション」
 花粉症でくしゃみが出る。目もしょぼしょぼする。
 「弱法師(よろぼし)」という能楽がある。シテは弱法師と呼ばれている盲目の乞食で、実は俊徳丸という御曹司。その俊徳丸が心の目でみつめたのが、お彼岸の中日、春分の日の夕日である。その同じ夕日を前にしている。

  * * *

 大学では能楽サークルに所属していた。辻本君とはそこで知り合った。一年生のときからずっと付き合っていた。
 あるとき、二人で「弱法師」を観劇した。シテの俊徳丸は父親に家を追い出されて盲目の乞食となっている。なぜ追い出されたのかというと、「さる人の讒言」。能楽では語られないが、この曲の元になった伝説では、継母の悪だくみということになっている。同じ伝説を題材とする説経節浄瑠璃の作品には、継母が登場するのだ。
 息子を追い出したことを後悔した父親が、四天王寺で施行をし、そこに弱法師がやってくる。折しも彼岸の中日。弱法師は四天王寺西門で日想観をする。日没に西方浄土を見る修行である。盲目の彼は心眼で夕日を見る。その姿を父親が息子・俊徳丸だと認めて、連れて帰るという結末なのだ。
「ハッピーエンドだね。よかったじゃん」
 辻本君はそう言った。だが私はどうにも納得できなかった。
「え、なんで? 元の家に帰るのが幸せなの? だって意地悪な継母がいるのに」
「そりゃあ、お父さんがなんとかするんじゃねえの」
「あのお父さんは信用できないよ。ころっと悪だくみにはまっちゃうし。そもそもそういう女だって見抜けずに結婚するってダメダメじゃん」
「でもこの曲でははっきり継母の悪だくみとは語られてないんだよ? 継母だっていうのはほかの説経節とか浄瑠璃の設定でさ。能楽業界では継母じゃなくて、別の人の悪だくみかもしれないだろ」
「たとえそうでも、このお父さんが頼りにならないのは同じだよ。俊徳丸だって父親の元にすんなり帰っちゃだめだと思うな」
「なんでだよ。目も見えない乞食だよ? 一人でどうやって生きていくんだよ」
「そういう現実的なレベルじゃなくて。なんていうか……男なら父親を殺すべき」
「優子の言うこと、全然わかんねえ」
 辻本君は話を打ち切るべく、そう言った。それ以上何も言えなくなった。
 私の中では疑念が膨らむ一方だった。もしかして、俊徳丸は父親に殺されるかもしれない、とさえ思った。
 父親は後悔して施行をしたとはいえ、俊徳丸を探すつもりはなかった。そこへたまたま弱法師と呼ばれるほどみじめな姿の俊徳丸がやってきた。探すつもりはなかったので、息子が生きて現れたのが意外だった。もう死んでいるだろうと思っていたのに、生きていたらそれはそれで困ると思ったかもしれない。
 恥ずかしがって逃げる俊徳丸の手をひっぱって、無理やり連れて行ったのだ。どこか別のところで亡き者にしたという可能性もある。
 そもそも俊徳丸は父親をもっと憎むべきなのだ。恥ずかしがっている場合ではない。それがとても歯がゆかった。

 辻本君とは卒業してからもずっと付き合うものだと思っていた。でもそれは私だけの思い込みだった。彼はなかなか就職が決まらなかったのだが、卒業すると田舎に帰ってしまった。
「これからどうするつもり? 私たちの関係は?」
「どうするも何も……。俺、長男だし、田舎に帰るの当然だろ。卒業したら俺たちの関係も終わりだって、優子もわかってたんじゃないの? そんなの暗黙の了解だと思ってたよ」
 この電話が最後となった。辻本君も父親の元に帰ったのだ。

  * * *

「ハックション、クション、ハックション」
 立て続けにくしゃみが出る。花粉症には辛い季節。それでも今日は俊徳丸が見たという夕日を確かめたいと思ったのだが。
 カバンから花粉症に効く目薬を取り出した。
 夕日が見えないのは涙のせいじゃない。目薬のせい。
 俊徳丸が心の目で見た夕日はさぞかし美しかったことだろう。辻本君も同じくらい美しい夕日が見えるのだろうか。私には望むべくもない夕日が。

  花びらのかたちに落ちる目薬をまつげにとめて淡き夕焼