しぐなすの創作物置小屋

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掌編小説「木槿の花」

 大正生まれのフジヨは木槿の花が好きだった。娘のユリコは夏に帰省したとき、「すぐつくから」と、木槿の花のついた枝をもらったことがあった。挿し木にせよという。家に帰って植木鉢に差してみたが枯らしてしまった。
 その木槿はユリコがまだ学生で、団地の一階の実家に住んでいた頃、フジヨが共用の前庭に勝手に植えたものだった。前庭に面してトイレの窓があり、その目隠しだといって植えたのだ。それ以前に「トイレの窓から覗かれた」といって騒いだことがある。周りにはアロエの植木鉢をびっしり並べて、人が立ち入るスペースをなくしてしまった。木槿は毎年、空高く赤紫の花を咲かせた。
 フジヨは隣国の民を悪しざまに罵った。年末の紅白歌合戦を見ていたとき、出演していた人気女性歌手を隣国の民とみなして「大嫌いだ」と吐き捨てるように言った。ユリコは聞こえないふりをした。ユリコは当時、その隣国の男性と付き合っていた。次の年から、ユリコはわざわざ正月三が日にアルバイトをして帰省を避けるようになった。
 それでもユリコは年に一度、夏には実家に帰った。いつも木槿の花がユリコを出迎えた。
 フジヨはゴミの分別をするのを面倒がった。「カラスにやる」といって、残飯をベランダから撒き散らした。裏の原っぱは手入れもされず、雑草が生い茂っていた。たくさんのカラスが残飯目当てに大声を立てながら飛んできた。セミの声とカラスの声にユリコは耳をふさいだ。
 フジヨはやがて歩けなくなり、認知症も発症して介護施設に入った。たまに見舞うユリコに、「木槿の花が咲くから帰る」と言い募った。
 ユリコが「フジヨ危篤」という連絡を受けて会いに行った時、電車を乗り間違えて遅くなってしまった。木槿があちこちで赤紫の花を咲かせていた。介護施設に着いた時には、フジヨはすでに意識がなくなっていた。ユリコは少しホッとした。
 フジヨの死後、手続きのついでに団地を訪れると、三十年の間生長し続けた木槿は、変わらずにそこにあった。花盛りだった。
「お母さん、木槿はあなたが忌み嫌っていた隣国の花なのよ」とユリコは心の中で、木槿の向こうの空に呼びかけた。
 * * *
 あれから十年。ユリコは今朝、木槿の花をみつけた。「またお母さんの花が咲く」とユリコは思った。