しぐなすの創作物置小屋

小説・現代誤訳・詩歌・漫画などなど

掌編小説「ある年配女性の問わず語り」

 阪神大震災の日に離婚届を出しに役所まで行きましてん。別居してたからね、バス乗り継いで。揺れたん、朝早かったでしょ、目ェ覚めたけどね、まあうちはちょっと物が落ちたぐらいで済みましたわ。ほんで午前中家出てね、阪急が止まってるのん知らんかったんやけど、ちょうど四条烏丸行きのバスが来たから、それに乗ってよかったわ。京都の市バスは動いてましたなあ。せやけど、えらいぎゅうぎゅうに混んでて、道も渋滞しててなあ、やっとのことで四条堀川で降りました。そこからまたバス。あのときは神戸の方がえらいことになって、京都はそうでもなかったからね、役所も開いてましたわ。離婚届はスムーズに出せました。
 それからいろいろあって、東京の方で暮らしてましてんけど、東日本大震災、あの日にまた離婚届を出しに行きましてん。再婚してたんやけどね。あのときは昼の三時前やったからね、離婚届出した後に揺れましたんや。やっぱり午前中に役所行ってね、二回めでっしゃろ、慣れたもんですわ。ハハハ。家に帰って、さあお茶でも飲もかと思てたら揺れてねえ、今の主人も一緒に私の家にいてましてんけど、いや別居してたしね、前の主人とも。あれはね、地震ねぇ、えげつなかったわ。食器棚の扉が勝手に開いてお皿が落ちて割れる割れる、部屋の電灯が跳ね回ってなあ、家の中ぐちゃぐちゃになったわ。幸い怪我はしませんでしたけどな。届け出しにいった後でほんまよかったなあいうてね。
 あれからもいろいろありましたわ。今度揺れるの、いつやろね。今度も離婚届出しにいくことになるんやろかねえ。いや、楽しみにしてるわけやないけどね。フフフ。

 私はボイスレコーダーの再生を止めた。ある工事現場から発掘されたものだ。前世紀の代物なのに、艶やかな声が遺されていた。この録音がいつ、どういう経緯で行われたのかはわからない。
 東日本大震災の後、大きな地震は何回かあった。東京も壊滅的な被害を受けた。このようなものが遺っていたのは奇跡といってもいい。
 結婚制度というものがまだあった時代。今では想像もつかない。社会学者の私でさえも。いずれにしても、この音声ファイルは貴重な史料である。
 声の主は年配女性というのはわかるが、その他の情報は何もない。名前も録音時の住所もわからない。彼女はどこで、いつまで生きていたのだろう。はたして三度目の離婚をしたのだろうか。