しぐなすの創作物置小屋

小説・現代誤訳・詩歌・漫画などなど

「ある脳内会話」

「ある悲劇」
 うだつの上がらない男は毎日少しずつ絵を描いていた。出世も望めない男には絵を描くことが唯一の楽しみだった。
 ある時、偶然その絵を見た同僚が、その絵を誉め称えた。
「すばらしい! 見事に完成された絵だ!」
 男はそれを聞いて愕然とした。
「この絵が完成したら死のうと思っていた……」
 男は絵のかたわらで首を吊った。

自分「この作品、練習で書いたんだけど、なかなかうまく書けたな」
脳内の誰か・A「『偶然』でサラッと済ましてるけど、なんで同僚が絵を見ることができるの?」
自分「え?」
A「主人公はうだつの上がらない人なんでしょ。同僚にも軽く見られてるはず。仲のいい同僚なんていないよね。不遇だから絵を描くだけが楽しみなんだよね。逆にいうと、同僚とうまくやってたら、絵を描くだけが楽しみという設定が際立たない」
自分「そうだね」
A「それならば、絵を描いてることも誰にも言わないよね。雑談なんかしないんでしょ」
自分「そうだね」
A「同僚が家を訪ねるなんてこともないはずだよね。だったら、いつ同僚がその絵を見るの?」
自分「……ひょんなことから……今ならテレワークしてるときに偶然写り込んでとか、どう?」
A「じゃあテレワークで写り込んだとしましょうか。ということは、実物を前にしてしげしげと見たわけじゃないよね。カメラ越し、つまりPC越しでしょ、だったらそんなにはっきり見えないよね。それをすばらしいと思うかな。『完成されている』なんて、お世辞にしか思えないよね。それを真に受けて絶望して首くくるなんてことがある?」
自分「……」
脳内の誰か・B「あなたはリアリティにこだわりすぎじゃないかしら」
A「!?」
B「理屈で考えてどうにも理解できないということはままあることよ。後で考えたら、どうしてなのかわからないというような体験、誰にでもあるんじゃないかしら。それを理屈が合わないからってなかったことにはできないでしょう。小説に関していえば、そこを埋めるのが読者の仕事でもあるわ」
自分「ですよね」
B「そもそも同僚がどういういきさつで絵を見たか、それはこの話のキモじゃないのよ、そのへんのリアリティはどうでもいいの。突っ込むところじゃないわ」
自分「だよね」
B「たとえば、『因幡の白兎』ではウサギがしゃべるじゃない。でもそこはツッコミを入れるべきところじゃないでしょ。それと同じ」
自分「じゃあ絵を誉めるのが同僚じゃなければいいのかな。飼ってる亀とか」
B「絵を誉めるのは敵ポジションの誰かのほうがよくないかしら。飼ってる亀はその人の味方でしょうし、主人公の彼の気持ちは察してるはずだと思うの」
A「リアリズムではない作品にするのなら、最初にそういう宣言をして、リアリズム作品として読まれないように用心するべきなのでは。たとえば、それこそ飼ってる亀にしゃべらせるとか」
B「それにはこの作品は短すぎるでしょう」
A「そもそも絵を描くだけが楽しみだという人が亀を飼うかな」
自分「……」
A「結局どちらにしてもこの作品は稚拙なんだね」
B「残念だけどそういうことね」
自分「貴様ら、うるさいよ! 私はただの趣味で書いてるだけだ! クオリティなんかどうでもいい! 書きたいように書かせろ!」