しぐなすの創作物置小屋

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帝釈天の事件簿・ドケチの彼方に

「アハハハハ、愉快愉快」
山の中に嬌声が響く。
人はもちろん、鳥も獣もいない山の中である。男がたった一人でごちそうに囲まれて酒盛をしていた。留志(るし)という金持ちだった。
「誰もいないところでうまい物を食い、酒を飲む。こんな愉快なことはない。わしも金持ちになったもんだが、このごちそうはわし一人のものだ。カラスにだってスズメにだって、アリにだってやるもんか。わしの財産はわしだけのもの。こんな身分、帝釈天だって及ばない。勝ったも同然。これこそ極楽至極よ。アーッハッハ」
そのとき、なにやら生暖かい風が留志の頬をなでたことに、当の本人はまったく気づかなかった。

酒も食べ物も尽きて、留志がしぶしぶ家に帰ると、門のところに人だかりができている。みな興奮して、なにやら飛んでくる品物を必死で受け取っているようだ。
「な、なんだ、あの騒ぎは」
留志があわてて、人々の中の一人を問い詰めた。
「お、おい、何をしているんだ」
「ここの旦那様が宝物をおらたちに分けてくださるだ」
「な、な、なにぃ!?」
留志は顔色を失って、門の中に入って行った。すると、蔵の入口で、自分と同じ顔形の者が宝物を人々に向かって放り投げているではないか。
「お、お前は何者だっ!?」
もう一人の留志(以下、留志Bとする)は平然とした様子で答えた。
「ここの主人の留志だ」
そこへ、きらびやかな着物をまとった留志の妻がやってきた。二人の留志の顔を見比べて、驚いてつぶやいた。
「うちの亭主が二人いるって、そんなバカな…」
集まっていた人々も遠巻きにして、ことの次第を見守っている。
後から帰ってきた留志(以下、留志Aとする)が、妻の恰好を見咎めた。
「お前、なんでその着物を着ている。それはわしの秘蔵の宝だ」
「うちの亭主にもらったのよ」
妻は不審そうな顔で、留志Bの陰に隠れた。そして留志Bの肩越しに、留志Aに吐き捨てるように言った。
「あんた、偽物でしょ。うちの亭主はこっちよ」
「違う、偽物はそいつだ」
「偽物はお前だ」
留志Bが負けずにそう言ったのを皮切りに、二人の留志は小ぜりあいを始めた。
そこへ、遠巻きにしていた人々の間から一人の初老の男が出てきて、二人の間に入った。
「ちょっとごめんなさいよ」
くたびれたトレンチコートの襟を立てている。
「なにやらもめごとのようですな。署の方でゆっくり伺いましょう」
そう言うと、男は懐から手帳を取り出して見せながら続けた。
「申し遅れましたが、イマソガリ署の山田刑事です。ヤマさんと呼んでください」

二人の留志は取調室に入れられた。それを隣室のマジックミラーの窓から、留志の妻とヤマさんが覗いていた。
「奥さん、正直に答えてください。どっちの留志さんが本物ですか」
「宝物を配っていた方ですっ」
妻は間髪入れずに答えた。
「留志さんは吝嗇だと聞いていますがねえ…。顔も同じ、服も同じ。尻のほくろまで同じときている。こうなると、見分けがつくのはもう奥さんしかいないんですよ」
「あの人は心を入れ替えたんです。宝物を配っていた方が本物です。この着物は誰がなんと言おうと私のものですっ。ううっ…」
妻はそう言うと泣き崩れた。
「奥さんも苦労してるねえ…。わかりました。あとはわれわれにお任せ下さい」
ヤマさんはコートを脱いで妻に着せかけた。そして取調室に行くと、二人の留志に言った。
「しかたがない。ブッダ様のところへ行くぞ」

ヤマさんは二人の留志を極楽のブッダのもとへ連れていった。ブッダは黄金に輝き、微笑をたたえて蓮華の上に座していた。
ブッダはヤマさんに、静かに声をかけた。
「うまくいきましたね、お地蔵君」
その瞬間、ヤマさんは煙とともに地蔵菩薩の姿に変わった。まだ少年のあどけなさを残しているが、凛々しさをもたたえている僧形である。
「ちょっとベタすぎだったでしょうか」
地蔵菩薩ははにかみながら言った。
「いえ、上出来ですよ」
地蔵菩薩をねぎらうと、ブッダはあっけにとられている留志Aに向かって言った。
「ずっとあなたのことを心配していたのです。あなたのように物を惜しむ心が強くては、極楽浄土には行けなくなってしまう。ここで私の説法を聞いて、心を入れ替えませんか?」
「……」
留志Aが何も言えないでいると、ブッダは留志Bに目を移して言った。
「君もそろそろ戻ったらいかがですか?」
留志Aはさらに面食らったように、かたわらの留志Bを見た。
留志Bはにやりと笑うと、片手で顔をメリメリとはがし始めた。
「きゃあっ!」
「ハハハハハ」
のけぞって悲鳴を上げる留志Aを見ながら、留志Bは高笑いをして仮面を取り去った。
「ああっ、あなたは…ミスター帝釈天!?」
留志Aが叫んだ。
「いかにも」
帝釈天の涼しい目がキラリと光った。
「君が山の中で一人宴会をしていたとき、『帝釈天に勝った』と言っただろう、あれが少々私の気に障ってね…」
そう言って、帝釈天はじろりと留志を見た。そして地蔵菩薩に目を移した。
「お地蔵君のヤマさんは実にナイスだったね。私もあやうく暴走するところだったからね」
「でも、最後にはやっぱり留志さんのためを思ってここに来てくださったのでしょう?」
地蔵菩薩が確かめるように言うと、帝釈天は留志に向かって言った。
「君のためじゃない。君がドケチでジコチューのままだとブッダが悲しむ。だからさ」
しょんぼりとうなだれた留志に、帝釈天はさらに厳しい声で言った。
「さあ、ブッダの説法を受けて、ドケチ根性を直すかい」
「は、はい…」
「いい子だ」
二人のやりとりを聞くと、ブッダは穏やかに微笑んで、留志に説法を授けた。留志は物を惜しむ心がすっかりなくなり、地蔵菩薩に送られて地上へ戻って行った。

留志たちを見送りながら、ブッダはつぶやいた。
「それにしても、帝釈天君はほんとにドSですね」
それを聞くと、帝釈天ブッダに背を向けてため息まじりに言った。
ツンデレと言ってくれたまえ」
そして、くるりと振り返って続けた。
「君の顔を立てたのさ。なんといっても、君は私のボスだからね」
帝釈天はそう言うと、悪戯っぽくウインクをしてみせた。
ブッダは静かに笑った。
どこからともなく、二人に曼荼羅華の花が降りそそいだ。


〜『今昔物語』(他)より〜