しぐなすの創作物置小屋

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掌編小説「うな丼」

 石丸さんは、十年ほど前、俺が大阪で土木作業員をしていたときの同僚で、当時もう還暦を超えていた。五分刈りの頭には白髪がだいぶ混じっていた。いつもごつい腕時計をはめていて、めったに笑わない人だった。
 現場では最年長で腕もよく、納得がいかない時は上に楯突くこともあった。昼飯の時は皆の談笑の輪に入ることなく、作業場の片隅で黙々と箸を動かすような人だった。他人に指図することはないが何でも知っていて、時には俺のミスを黙ってフォローしてくれた。
 夏になると、元々細身の石丸さんはいっそう痩せた。だぶだぶの白いシャツから骨張った胸元が見える。日焼けしているのもあって、焦げた魚の干物を思わせた。
 土用の丑の日、汗だくであえぐように息をしている石丸さんを見かねて、声をかけた。
「石丸さん、ウナギでも食うて精つけなあかんで」
 すると間髪入れず、しゃがれた声が返ってきた。
「あほか。ウナギみたいな高いもん食えるか」
「今日ぐらいええもん食わな。俺、おごったるわ」
「わしはお前におごられるほど落ちぶれてへんぞ」
「なんやねん、文句言わんとおごらせろっちゅうねん」
 俺は無理やり石丸さんの腕を引っ張って牛丼チェーン店へ連れて行き、うな丼をおごった。
 石丸さんはうな丼を完食したものの、難しい顔をして終始無言だった。生意気だった俺も、さすがにちょっと気まずくなった。
 故郷へ帰るといって石丸さんが仕事をやめたのは、それからひと月ほど後、八月の終わりだった。お互い連絡先を聞くこともなく、別れ際もいつもと同じようにそっけなかった。
 だが、最後に石丸さんがポツリと独り言のように俺に言った言葉は、いまだに忘れられない。
「お前がおごってくれたうな丼、おいしかったわ」
 オレンジ色の夕方、ツクツクボウシがさかんに鳴いていた。
   * * * 
 石丸さん、今どうしてますか? 元気にしてはりますか?
 俺もあれからいろいろあって、嫁もろて、シンガポールに移住して、今は会社を経営してて、もう息子が三歳になりましてん、て言うたら、どんな顔するやろな。ここは年がら年中、土用の丑の日みたいに暑いんですわ。ほんでも、ウナギ食べるのはやっぱしホンマもんの土用の丑の日に限りますな。今やったら、もっと上等なうな丼、なんぼでもおごったるねんけどな。
 たまにはウナギ食べて、せいぜい長生きしてください。石丸さん。

※「石麿(いはまろ)に我物申す夏痩せによしといふ物ぞ鰻(むなぎ)取り喫(め)せ  大伴家持」(『万葉集』)を元にして妄想しました。