「#小説」というタグをつけるのは、「これはフィクションです」という宣言です。それ以上でも以下でもありません。僕は僕の書くものがほんとうに「小説」なのかどうかわかりません。けれども「物語」というには、僕の書くものは短すぎる気がしますし、「おはなし」だと子供向けの童話みたいなので、そう呼ぶのもはばかられます。でもフィクションなので「エッセイ」ではありません。「エッセイ」に見えると思いますが、作り話なのです。だから便宜上「小説」ということにしているのです。だから「こんなものは小説ではない」と言われても困ります。そんなことを言われたことはありませんけど、これから言おうと思っている方がおられましたら、やめてください。
そこまで書いて、俺はスマホ画面を閉じた。俺の「小説」をディスられないための予防線、というか言い訳。でも誰も俺の作品のことなんか気にしてないだろう。こんな言い訳を書くのは自意識過剰のイタイやつだ。
それに、これではエッセイじゃないか。noteではフィクションだけを書こうと思っていたのに、ついこういうことを書きたくなる。
ほんとうは「#小説」というタグをつける必然性は大してないのだが、フィクション宣言と同時に、タグをつければ人目に付きやすい、読んでもらえる可能性が高くなるだろうと期待してつけているだけだ。
だけど、読んでもらって何になるというのか。自分の書くものはみな無料設定にしてあるから、読んでもらったからといって儲かるわけでもない。なぜ有料にしないかというと、有料では誰も読んでくれないだろうから。
儲からなくてもいいから誰かに読んでほしい。俺はそう思っているらしい。
過疎ブログで書くよりはnoteに書く方がよっぽど人目につくだろう。「スキ」や「コメント」など、もとより期待していない。ただダッシュボードでビューの数を見て喜ぶだけ。それで何が悪いっていうんだ。
難しく考えるのはよそう。俺はウソ話を書くのが楽しいから書いている。そしてどんなに下手クソでも、小説の体をなしてなくても、俺が「#小説」のタグをつけたものは、誰がなんといおうと小説なのだ。言い訳なんかやめろ。所詮ただの趣味じゃないか。わかったな、俺!
もう一度スマホ画面を開いて自分の言い訳を読んだ。そして「保存せずに閉じる」をタップした。
※この作品はかつてnoteで公開していたものです。