しぐなすの創作物置小屋

小説・現代誤訳・詩歌・漫画などなど

「振袖のひと」

 私が十八歳だったころ、昭和の御世のお話です。高校を卒業してある雑貨店に勤めました。
 お店ではネックレスや指輪などのアクセサリーやぬいぐるみ人形などを扱っていました。まだ若かった私は、それらの品々を憧れのまなざしで見ているばかり。会計係をしながらも買えませんでした。自分には似合わないと思っていたのです。
 ある日の昼下がり、振袖を着た若い女性が店に入ってきました。とても肌が白く、二重瞼の眼は大きく見開かれて、遠くをみつめているようでした。小さいけれどぽってりとした唇には、赤い口紅が塗られていました。結った髪は少し乱れて、後れ毛が白い頬にかかっていました。
 彼女は陳列してある品物を見回していましたが、手鏡に目をとめました。その手鏡は美しい細工を施してありました。銀色の地にバラの花を彫ってある、ヨーロッパ風の優雅な品でした。
 彼女はそれを手に取ると、会計をしないまま店を出ていこうとしました。
 私はそれを見ていましたが、あまりにもびくついたところがなく、自然なふるまいだったので、その手鏡がとうの昔から彼女のものであるような気がして、声をかけられませんでした。
 すると、ちょうど店に和装の老婦人が入ってきて、手鏡を持った女性と鉢合わせをしました。
「お嬢様、その品でよろしいのでございますね?」
 白髪混じりの髪をひっつめにした老婦人は、きりりとした低い声でそう言いました。そして振袖のひとが持っていた手鏡を奪い取り、会計係の私に差し出しました。
「これをお願い」
 私が手鏡を包装しようとすると、「このままで結構」と言って手鏡を再び振袖のひとに渡しました。
 そして懐から財布を取り出すと、手鏡の代金よりも多い金額のお札を差し出しました。
「おつりはいりません」
 ピシャリとそう言うと、老婦人は振袖のひとの背を押して、店を出ていきました。
 後から聞いた話では、振袖のひとは地域では有名な人物で、さる公家の子孫の一人娘だったのですが、精神を病んでいたようです。そして老婦人はそのお付きの者だったそうです。
 あれからあの方たちはどうされたでしょう。私はいたって平凡な人生を送っていますが……。あの方たちの幸せを願ってやみません。



※お題:「うつくしき手鏡を買ひてゆきしひとわれよりも苦き半生持たん  真鍋美恵子」